2013年5月24日金曜日

日の丸を、故郷を背負い、ダイビング。

先日、ドイツから友達が来ているということで、夜に会う約束をしていました。

夕方に電話があって「ディズニーランドのホテルにi-Pad忘れたから取って来てくれへん?」とのこと。

ほんまやったら断ってるとこやけど、「餃子おごるから!」の一言で、僕の足はディズニーランドへと向かいました(笑)




ディズニーランドは僕の職場のから電車で5分の場所にあって、

僕の家からも電車で20分あれば着く距離なのですが、皮肉にも初めて行きましたよ。

まさか他人の忘れ物を取りにここに来るとは。

ホテルの受付に話をすると、i-Padと一緒に彼の子供が忘れて行ったミニカーまでありました。

i-Padとミニカーを持って、待ち合わせ場所のパリで一番美味しい餃子が食べれると評判の「来々軒」へと向かいました。

そこで待っていた友達とは実は…サッカー日本代表の岡崎慎司です。

実は、彼とは滝川第二高校サッカー部時代のチームメイトなのです。

かれこれ8年ぶりの再会やったけど全然変わってへんかったなぁ。

当時から「ゴールと笑い」をよく取るやつでしたが、今も相変わらずおもろくてええやつでした。

ちなみに慎司曰く、僕は「垢抜けた」らしいです(笑) ありがとうございます。

慎司とその家族、共通の友人であるカズ兄さんとその家族、そして僕で、

美味しい餃子をつまみに、当時の思い出話や、サッカーの話なんかで盛り上がりました。

せっかくなのでサインをもらおうと思い僕が持参したのはこのユニフォーム。





僕の「宝物」の一つです。

僕は、高校1年生の冬にストレス性適応障害(雅子妃殿下が患われたものと同じ病気)という、


わかりやすく言えば「鬱病」に罹って長期間チームを離れ、学校にも通えない日々が続きました。


そして2年生の秋に、環境を変えたいと思い、フランスに留学することを決断したのですが、


このユニフォームは、僕がフランスに出発する前にチームメイト全員がメッセージを書いてプレゼントしてくれたものです。


病気の時も、フランスへ旅立つ時も、慎司をはじめチームメイトの全員が、

僕を励まし、応援してくれていました。

チームを離れる者に対してこういうことはなかなかできるものではないと思います。

言葉も習慣もわからないフランスで生きる事は簡単なことではなかったし、

辛いこともありましたが、部屋に飾ったこのユニフォームがいつも僕を支えてくれていました。

「滝二のみんなとサッカーすることを捨ててここに来たのだから泣きっ面では帰れない」という気持ちで困難にも立ち向かう事が出来ました。

当時も、今も、そしてこれからも、滝二のみんながしてくれたその恩を忘れる事は決してありません。

ちなみに、当時の慎司はこんなことを書いてくれていました。




僕は先に諦めてしまいましたが、彼は見事に有言実行を果たしました。





そして今回は、相変わらず字は汚いけど(笑)、力強いメッセージをくれました。

彼は、地元である兵庫県のことを本当に大切に思っていて、

「兵庫県を盛り上げるために頑張りたい。いずれは兵庫県のために何かやりたい」と言っていました。

故郷から遠く離れた異国で生きているからこそ、その想いも一層強いのだと思うし、

慎司はすごく家族想いで、家族を想うことは故郷を想うことにつながるんだと思います。

いずれにせよ彼のことなので、メッセージの言葉は有言実行してくれるでしょう。

僕も慎司とは畑は違うかもしれないけど、あるいはいずれ何か一緒にやれるようなこともあるかもしれないし、

今度こそはお互いがメッセージを有言実行できるように、つまり地元の兵庫県を盛り上げられるように、僕も頑張らなあかんなと思いました。


6月1日にはドイツカップ決勝、6月4日、11日には日本代表としてW杯最終予選、

さらにその後はコンフェデレーションズカップと忙しい日々が続くようです。

フランスでは日本代表の試合は観れないので残念ですが、陰ながら応援しています。

慎司の活躍が兵庫県、そして日本の元気につながるはずです。

写真を撮り忘れたので、今度は僕がドイツに遊びに行きたいと思います。



日仏交流コーディネーター
山田 剛士

2013年5月10日金曜日

友情と、ボールをつないだ、青春の芝。

みなさん、ゴーヤはお好きですか?

僕は今、無性にゴーヤチャンプルーが食べたいです。

どうも山田です。

5月8日(ゴーヤの日)に27歳になりました。

誕生日当日は水曜日でしたが、こちらでは5月8日は「戦勝記念日」(つまり第二次大戦においてドイツが降伏した日)ということで祝日でお休み。

家でゴロゴロしていました。

どっかかからお誘いがかかるのを待っていましたが携帯はならず…。

それもそのはず。こちらでは、誕生日会というのは開いてもらうものではなく、

誕生日を迎える本人が企画・開催するものなのです。

でも、サプライズパーティの場合はもちろん別です。

そういや先月、友達のサプライズバースデーパーティがあるとのことで行ってきました。

パリの某イタリア料理店で待つこと一時間。

恋人に連れられて、何も知らない主役が登場!

サムです。




サムとはもう9年来の付き合いになります。

アシェール(Achères)というパリ郊外の小さな町でサッカーをしていた時のチームメイトです。

すごい陽気な奴で、まだ言葉もわからなかった当時の僕に最初に話しかけてくれたのがサムでした。

いつも「タック、元気か?」と、僕を気にかけてくれ可愛がってくれていました。

そういや、僕に「タック」とあだ名してくれたのも彼でした。

(たぶん「TAKESHI」が言いにくいか覚えにくいかで「TAK」に)

今回も数年ぶりの再会で、僕を見つけるなりすごく喜んでくれました。

今回の出席者はもちろんみんなサムの友達なんですが、僕の知らない人ばかり。

するとサムは、「みんな、タケシを知ってるか!?

こいつはまだ18歳の時に、言葉もわからないのに一人でサッカーをしにフランスに来たんだ!

すごい選手だったんだ!」とあちこちに紹介して回ってくれるのです。




みんなダンスに夢中で聞いてへんかったけど…(笑)

結局、食って飲んで踊っての宴は朝まで続きました。

サムは、僕たちが当時一緒にプレーたチーム(CS Achères)で今もサッカーをしているそうで、

「今度リーグ戦で大事な試合があるんだ。観に来いよ!」というので、観に行ってきました。




久しぶりに訪れた青春のホームグランドは何も変わっていませんでした。

あぁここでサッカーしてたんやなぁ…



フランス人に混じってプレーする山田(当時)

18歳のあの頃に戻ったような気持ちになり、あの頃の思い出が頭の中によみがえってきました。

言葉が通じず思うように考えを伝えられなかったこと、

試合でゴールを決めるとみんなが駆け寄って祝福してくれたこと、

試合に勝ってみんなで抱き合い喜び合ったこと、

言葉がわかるようになってきてみんなと笑い合えたこと…。

(後からわかったことですが)こんなこともありました。

当時言葉のわからなかった僕に対して、

相手選手から人種差別というか侮辱的な言葉を受けることがあり、

それが原因で乱闘になったりすることがありました。

つまり、チームメイトのみんなが僕を守ってくれていたのです。

夢を追いかけてやって来て、その夢は破れて、残ったのがこの街とこの街の人との友情でした。

それがなければ今頃間違いなく僕はここにはいない。

人と人のつながりがその人を作るんだなと思います。

27年間…たくさんの人に支えられながら生きてきました。

僕の周りの全ての人に、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。



日仏交流コーディネーター
山田 剛士

2013年5月9日木曜日

旧友の、白い歯映える、パリの街。

ここ最近、どうも天気が悪いなぁと思っていたら…

この人が来ていたんですね。

ご紹介します。

中谷ユースケサンタマリアです。




タイ人ではありません。

顔は濃いめのソース顔、性格あっさりしょうゆ味…でお馴染みの中谷です。

中谷とは中学時代にサッカーチーム「FC西神」で一緒にプレーしていたサッカー仲間で、

同じ中学校に通う同級生でもありました。

伝統的(?)に変わった人が多かったチームにおいて、

彼は頭もよかったし、どちらかというと大人しいタイプだったので、

一見チーム内で一番まともな人に見えましたが、

よく見ると一番変わっているというのが中学時代の彼の評判でした。

非常にマイペースな性格の中谷は、マイペース過ぎて、

ワンデイ用のコンタクトを一週間も替えるの忘れて眼の病気になり入院したことがあります。

でも、歯だけは毎日しっかり磨きます。

「白い歯コンテスト」みたいなやつで賞をもらって全校生徒の前で表彰されていました。


さて、そんな中谷が日本から新妻を連れてパリにやって来たということで、

僕がパリで一番気に入っている場所にお二人をお連れしました。

サクレクール寺院のあるモンマルトルです。


サクレクール寺院の前でご満悦の中谷夫妻。


フランス人のカップルどもが、至る所でイチャイチャイチャイチャしているので、

僕も気を遣って、「二人もイチャイチャしてええんやで」と言うと、

「いやええわ」と中谷氏。

しかし、その手はしっかりと新妻の手を握っておりました。

このちゃっかり者め。

ちょっとほっこりした気持ちになりました。

その後、凱旋門にお連れしました。

凱旋門では、なぜかこの彫刻が中谷のツボにはまったようです。

十数年来のつきあいになりますが、いまだに彼のツボがわかりません。




その後、中谷が予約しておいてくれたレストランで夕食を食べました。

結構なお高いお店でしたが、男前の中谷様がご馳走してくれました。




こうやって日本の友達が僕を訪ねて来てくれるのは本当に嬉しいものです。

僕と過ごしたこの一日が、お二人のフランス旅行の楽しい思い出の片隅にでも残れば幸いです。

今度僕が東南アジアに行ったときは案内してください。


日仏交流コーディネーター
山田 剛士

2013年5月5日日曜日

悔しいが、楽しかったと、最後は笑顔。

【最終日】

今朝の地元紙のスポーツ欄に昨日の僕たちの試合が載っていました。





さて、今日は大会最終日。

負ければ予選敗退の決まる重要な一戦で対戦したのはフランス・リーグアンのナンシーの下部組織。

今大会の試合は、ハーフタイムなしの12分1本で展開されるのですが、その最初の半分を無失点に抑えました。

しかし、1点を失うと、そこから失点を重ねて0‐3で敗北。

子供たちはまたしても悔し涙…。

しかし、今回の相手ナンシーが、初戦でボールすらまともに持たせてもらえなかったバスティアと同じぐらいのレベルであることを考えれば、ボールを回す場面が随所に見られたし、

ゴール前まで攻め込むシーンもいくつか見られたので、子供たちの大きな進歩を感じる事が出来ました。

最後の試合は、地元の強豪チームLANDERNEAUと対戦。

今回の遠征には、NSCのユニフォームとは別に、日本代表モデルのユニフォームを用意していました。

しかし、日本代表のユニフォームを着るという事は、それなりの覚悟が必要です。

みんなが日本代表として見ます。

特に今回の大会は、他のチームの子供や関係者や地元の人たちが、各試合をピッチの周りを囲むようにして観ていましたから、下手な試合は出来ないわけです。

なので、大会前に「試合に勝てば、次の試合から日本代表のユニフォームを着よう」ということを子供たちと約束していました。

結局、この最後の試合までに1勝もすることができなかったため、本来はこのユニフォームは着れないはずでしたが、最後の試合だという事で着せることにしました。

子供たちには試合前にこういう話をしました。

「たくさんの人たちがこの試合を観ている。

みんな日本のチームだと思って観ているし、このユニフォームを着ることで日本代表のジュニアチームだと思う人もいるかもしれない。

だからこそ、下手な試合はできない。別に負けるなと言っているわけじゃない。負けたっていい。

でも、絶対に諦めるな。1点取られても2点取られても、絶対に諦めるな。」と…。

どんな状況でも決して諦めない姿勢、それが日本のサッカーだと思ったからです。

さらに子供たちは、それぞれがこの試合でどういったことをするのか個人的な目標を決めて試合に挑みました。




そして、この試合は、忘れられないものになりました。僕にとっても、おそらく子供たちにとっても…。

序盤から相手のフィジカル、スピードに苦戦し、1点を失うとそこから立て続けに失点します。


3点を失った後にFKから1点を返しましたが、さらにそこから失点を繰り返しました。


しかし、何点決められようとも子供たちは決して諦めませんでした。

これまでの試合ではいとも簡単に抜かれ、ボールを奪われたらそこで足を止めていた子供たちが、この試合ではボールを奪い返すために懸命に走っている。

スライディングやタックルで必死にボールに食らいついてボールを奪おうとしている。

試合は1‐7で大敗しましたが、僕はこの試合の子供たちに大きな成長を感じました。

そして試合後、これまでは毎試合後に負けて泣いていた子供たちの目から、涙が零れる事はありませんでした。

それどころかどこかスッキリしたような顔で、「負けちゃったけど楽しかった!」と言うのです。

僕はこの言葉に非常に感慨深いものを感じました。

これこそが、サッカー(あるいはスポーツ)の醍醐味なのです。

もちろん勝利という結果を求めて戦うわけですから、勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。

また、自分の思い通りのプレーが出来れば楽しい。

しかし、それらとは別のところに、最大限の力を出し切ることで生まれる楽しさがあります。

それを子供たちが感じてくれたことは、本当に大きなことだと思います。

試合後、他のチームの試合を観戦していると、多くの人が僕に声をかけてくれました。

「来年もまた来いよ!」とか「日本のチームは小さいのによく頑張った!」とか…。

今回の大会では1勝もできずに終わってしまいましたが、勝利することよりも大事なことを学べたのではないかと思います。

子供たちにとっても、僕にとっても素晴らしい経験となりました。



日仏交流コーディネーター
山田 剛士

2013年5月1日水曜日

頬伝う、涙の粒で、強くなれ。

【2日目】

いよいよ大会が開幕。

午前中は開会式。

まずはこの大会の楽しみの一つであるパレード。

それぞれのチームや国をアピールするためのグッズを手に街を歩きます。





大会のマスコットキャラクターのにわとりさん。ちょっと気持ち悪い(笑)





開会式ではリヨン、PSGといった強豪チームに挟まれる形で整列。

今大会では他に、マルセイユ、リール、サンテティエンヌ、レンヌなどのフランスリーグの下部組織はもちろん、海外からも川島選手所属のスタンダール・リエージュの下部組織などの強豪チームが参加します。


そして午後からはいよいよ予選リーグがスタート。

今大会は、諸事情で小栗兄さんがカメラマンのため、僕が監督。

山田監督を中心にミーティング


初戦はフランス・リーグアンのバスティアの下部組織であるバスティアU-11と対戦しましたが、こてんぱんにやられて0‐4の敗戦。

ボールもほとんど持たせてもらえませんでした。

試合後、子供たちは悔し涙を流していました。

そういえば僕も小学生の頃、遠征の試合でPKを外してしまい、泣いたことがあったな。

こうやって悔しい思いをして成長していくのです。

「良薬口に苦し」と言いますが、勝つことよりも、負けて悔しい思いをする方が強くなる。

2戦目は地元のクラブ、PLOUVIENと対戦。

1点を先制しましたが、試合終了まで残り2分のところで失点してしまい、1-1の引き分け。

あと一歩のところで勝利を逃してしまいました。

そして3戦目は地元クラブASPTTブレストに1-4と敗戦。

これで明日行なわれる予選リーグの残り2試合に勝たなければ予選敗退という状況になってしまいました。


さて、夜は、お疲れの様子の小栗兄さんを残して、一人でブレストの試合を観に行ってきました。

ブレストはホームに同じブルターニュ地方のレンヌを迎えました。

スタジアムは大きくはないけれど、ピッチまでの距離が近いし、なかなかいい雰囲気でした。

昨日、クレープ屋さんで出会ったフロリアンは、先発どころかベンチにも入っていませんでした。





試合は2-0でレンヌが勝利。

決してレンヌがよかったというわけではないのですが、ブレストが酷すぎた。

ブレストの選手たちからは、「勝ちたい」という気持ちがまるで見えませんでした。

リーグアンも残すところ4試合。

ブレストは現在19位と下から2番目でこのまま行くと降格。ブービー賞はありません。

リーグ戦の終盤になると、降格争いをしているチームは残った力を振り絞り気持ちを前面に出して頑張るので、面白い試合が多くなるのですが、この試合は全くそういうことがなかった。

正直、久々にこんな無気力な試合を観た気がします。

ブレストの選手たちは2点決められるともう諦めモードで、ブレストの選手がミスをしたらブーイングはもちろん、拍手まで起こりました。

状況としては、降格危機のブレストも予選敗退危機のNSCも同じようなものです。

明日の試合、NSCの子供達には、最後まで諦めることなく戦い抜いて欲しいと思います。


日仏交流コーディネーター
山田 剛士



親元を、離れた子に染む、港風。

週末に、ブルターニュ地方のブレストという街に行ってきました。

僕が毎週日曜日にコーチをしているパリの日本人サッカークラブ「NSC」の子供たちが、

ブレスト郊外で開催される国際大会に参加するということでその引率。

【一日目】

昼前にTGVでパリを出発。




旅に出る息子たちを心配しながら見送る親御さんの気持ちなど知らない子供たちは、

これから始まる冒険に胸を躍らせていました。

車内では、トランプをしたり、マンガや本を読んだり、中には長谷部誠選手の名著を読み、

明日の試合に向けて「心を整える」子もいました。

パリからTGVで揺られること5時間、ブレストに到着。

パリはここ最近暖かい日が続いていましたが、ブレストは冬に逆戻りしたかのように寒く、

港町なので風も強く吹いていました。

ブルターニュ地方は天気が悪いことで知られているので、晴れていたことだけが救いでした。

駅で僕たちを出迎えてくれたのは、大会中にNSCをサポートしてくれるエルワン。


大会中、NSCのお世話をしてくれたエルワン


珍しい僕より小さいフランス人(笑)

ちなみに僕と同い歳で、妻子持ち。

さて、駅からバスで大会本部に移動。

子供たちは地元の家庭にホームステイをするので、ここでステイ先の家族とご対面。

NSCの子供たちは、日本人学校やインターナショナルスクールに通う子が多く、

フランス語を話せる子があまりいません。

そのため、子供たちの表情にはいささか不安の色が見られましたが、

僕はこの経験が彼らにとって素晴らしいものとなるだろうことを確信しています。

言葉が通じないからこそ得られるもの、感じられるものがきっとあるはずです。


小栗兄さんと僕は、子供たちをホームステイ先の各家庭へと送り出した後、

ホテルにチェックインを済ませてからブレストの街に繰り出しました。

やはり旅に出たらばその地のものを食べなければ。

ブルターニュ地方と言えば蕎麦粉を使ったクレープ「ガレット」が有名。

ということで、地元でも有名なクレープ屋さん「Creperie Moderne」へ。

「Moderne(「最新」の意)」という店名とは裏腹に、ブレストで最も古いクレープ屋さんだとのこと。

ガレットを頬張りながら、シードル(ブルターニュ地方特産のリンゴ酒)を味わい、

さらに魚のスープに舌鼓を打つ。

「幸せ」の一言に尽きる。


ガレットとシードル
魚のスープ

そのクレープ屋さんで隣に座っていたイケメンのお兄さんが、

その体格、オーラから察して、どうもサッカー選手っぽかったので、声をかけて聞いてみると、

本当にサッカー選手でした。

フロリアンという地元ブレストのサッカー選手らしい。

せっかくなので、一緒に写真を撮ってもらいました。




後から調べてみると、彼はフロリアン・ルジューヌ(Florian Lejeune)という21歳のDFで、

現在はスペインのヴィジャレアルからブレストに期限付き移籍中だそう。

さらに、フランスU-20代表経験もある将来有望な選手のようです。

ちょうど明日の夜、ブレストの試合があるようなので、観に行こうかな。


つづく…


日仏交流コーディネーター
山田 剛士